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株式会社岡利は、京都御苑の丁度南側に位置しています。地元京都の人々は単に「御所」と呼んで親しんでいます。ご存知のとおり御所とは代々の天皇家がお住まいとされていたところで、西暦794年に桓武天皇が平安京に遷都されてから、明治天皇が1869年に東京へ遷都されるまでの長きに亘って代々の天皇がお住まいになっていました。その間、天皇家73代、およそ1070年余りになります。
ところで、もしも明治天皇の時代に東京遷都が行われていなければ、京都は随分違ったことになっていたでしょうし、何より京都御苑は今も皇居として存在していることになります。そうであれば、京都御苑の今のような開放はなかったでしょうし、御所の近くも市民の居住地にはなっていなかったはずで、われわれが御所の南側で普通に暮らすことは到底考えられません。
岡利の創業者である岡村利吉は、明治20年ごろに滋賀県朽木から京都に出てきて、今の場所(京都市中京区東洞院通丸太町下る)に居を構えて木材業を始めています。思えば、随分と先見の明があったのだなあと感嘆するとともに感謝している次第です。
さて、京都御苑にまつわるお話しは、さわりを少しだけ…。
今の京都御苑は江戸時代に再興されたものであり、桓武天皇が平安京に遷都された頃の御所(内裏あるいは大内裏)の位置とは異なっています。古の平安京大内裏は、現在の京都市上京区千本丸太町辺りにありました。千本丸太町というのは通りの名前で場所を表す京都独自の表記法ですが、千本通りと丸太町通りが交差しているところを指します。今は少し大きな普通の交差点という雰囲気しかなく、平安京の面影は全くと言っていいほど感じられません。千本通りが平安京時代の朱雀大路であったことは確実で、当時に道幅が82メートルもあったそうですが、今の千本通りはそれほど広い通りではありません。昭和50年頃まで千本通りにも有名な路面電車である京都市電が走っていました。広軌複線の線路が道路に埋め込まれていたのですが、今の交通量からは想像もできません。よくこんなところを電車が走っていたものだと思います。
目次ページ※1の印は、京都御苑です。広い敷地と美しく手入れをされた庭園は、人の心を癒してくれます。散歩やジョギングをされている方がたくさんいらっしゃいます。 |
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